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Steel Tormenter
Chapter:1

第1話 出会い


 女性の名前は幡野風香。
「おはようございまーす」
「よぉっ、今日も早いなぁ、ふーかちゃん」
 えへへ、と笑いながらそそくさとカウンターを滑るように移動する。
 朝の早い車両工場、既に何人かの従業員が仕事の準備を始めていた。
 中古車販売も行っているこの工場が彼女の職場であり、日常の範囲内なのだ。
 名前をカンダモータース。
 先程声をかけたのは社長の菅田昭典、今年で40になろうかという巨漢だ。
 元々は峠の走り屋だったらしい。いつも自慢にでてくるのはハチロクと呼ばれる名車――AE86、スプリンタートレノだ。
 散々自慢してるのも、ここ数年『何故か』トレノの人気が上がったからに他ならない。
 彼自身その理由を実は知らないのだが。
 既に事故で廃車にしたその車は、何処にも存在しない。
 しないからこそますます自由自在に自慢を始めるのだ。
 特に彼女、風子が載っている車はハチロクの後継にあたるためか、容赦なく目をかける。
 ただのスケベ爺だという噂もある。
 菅田はこの辺の生まれではない。事情は知らないが、隣の県から越してきて今ここにいるのだという。
 尤もここに来てからはかなり長いようだったが。
「おはようございまーす」
 工場に顔を突っ込んで挨拶。
 奥の方に一人つなぎを来て工具の点検をしている青年が無言で頭を下げた。
 この工場で最も年下の川原弘巳、専門学校出の18だ。
 口数があまりに少ないせいで暗いと思われがちだが、決してそんなことはない。
 高い目のハスキーボイスで、同年代の女の子に受けは良さそうなのだが、本人がそう思っていないせいかどうもぱっとしない。
 風香は顔を引っ込めて、そのまま事務所裏にある更衣室へ向かい。
 数分後、この工場のつなぎを着てでてきた。
 彼女は事務職ではなく、この工場の整備員の一人なのだった。

「ふーかちゃん、こいつちょっと峠連れて行ってやれよ」
 とは、いつもの社長の科白だ。
 取りあえず準備を終えて、朝のコーヒー。
 時刻は八時、まだまだ開店にも早い時間、日課の通りだ。
「ちょっと社長。何回言わせる気ですか」
 笑いながら、サーバーから持ってきたコーヒーをカップに注いで回る。
 机の上に砂糖とミルクをおくのを忘れない。
 これはそのままお客が来た時に出す物だからだ。
「なぁ」
「……えっと」
 長めの髪の毛をかくとおろおろと視線を泳がせる弘巳。
 でも返事がそれ以上ないのも弘巳。
 判っていて社長は視線を風香に向けて眉を顰める。
「あんな車に乗っておきながら、走らねぇってのはどうかと思わないのか」
「そう言う問題じゃないでしょ」
 あきれ顔で、二人の座る応接セットに腰掛ける。
 全く、風香の言う通りだった。
「そんなに言うんだったら、世のスーパースポーツカーはみんなすべからく走らなきゃいけないんですか」
「馬鹿者、そもそもフェラーリやポルシェを日本人が買うのが悪いんだ」
 社長の言い分としては、それらの車は日本では走れないそうなのだ。
「また始まった。どっちにしても、良いですか社長。私女の子ですよ」
 風香が言うとむっとした表情で社長も答える。
「関係有るか。車を走らせないでどうする」
「走り屋なんて今更、いないんですからねー」
 社長の今の車はニッサンプリメーラだ。
 彼女は口を尖らせるように言うと、軽く伸びをしてひょいと弘巳を見た。
 弘巳は、恰好をつけているのかいつもブラックコーヒーをすするように飲む。
 彼の表情はあまり大きく揺らがないが、少しは気にしているのだろう。
 彼の所持している車はスカイラインGT-Rである。
 日産が誇る有名なスポーツカーだが、型式を見れば判るがGT-R以外のスカイラインはGT-Rと全く違う。
 搭載されるRB26DETTは洗練されて、公称280PSを大幅に上回ると言われていた。
 尤も彼の車は最後のスカイラインであるR34ではなく、R32だ。
 直列六気筒ツインターボエンジンのそれの性能は大幅に強力であり、アテーサE-TS(電子制御トルクスプリット)と呼ばれる四駆システムを搭載する。
「メンテナンスはしっかりしてるから」
 しかし、ぼそりと呟いた彼の言葉を二人とも聞いていなかったようだ。
「まあいい、休憩は終わり、売り物を洗車してこい」
「はーい」
 元気良く答える風香に、無言で立ち上がる弘巳。
 工場隅からホースを引き出して、表に並べた売り物の洗車を始めた。

 整備工場の仕事は色々ある。
 オイル交換は当たり前、タイヤ交換、各種フィルタ交換、ちょくちょく客が入ってくる。
 まだケミカル交換は良い方だ。
 クレームによる修理、あまつさえボルト交換なんてものまである(まあ、ただでやることが多い)。
 大物になると工場の二柱リフトを占有したりする――まあ、街の修理工場として正しい姿だ。
 所詮小さな工場だから。
 しかし表には大きな駐車場があり、そこに常時10台以上中古車を並べているのが自慢のようなものだ。
 裏にはナンバーのあるのないの、含めて相当数放置された車がある。
 客から預かった物、廃車、拾ってきた物など様々な物がある。
 何故こんな所にこんなもの、というようなものまで並べているので、本当のマニアが買い付けたりする。
 なにせポルシェのエンジンや見たことのないV6エンジンが並んでいたりすることもあるのだ。
「がらくたは拾わないで捨ててきたらいいのに」
 ため息を付いて、取りあえず掃き掃除。
 片づけなくても掃除は必要。
「……幡野さん」
 事務所からの出入り口は内からは見えない場所にある。
 そこから弘巳が顔を出して彼女を呼んだ。
「お客らしいヒトがいるんですけど」
 え?と眉根を寄せて首を傾げると、彼を押しのけるように中に入る。
 社長は書類整理でカウンター裏側で作業中。
「……って、お客じゃない」
 見るからに車を眺めている男が一人。
 いや。男と言うにはまだ幼い気がする。
「客じゃなくても、商品に傷つけられたら駄目だから声をかける」
「……お願いします」
 たはー、とため息を付くとじろりと弘巳を睨み、大きく肩をすくめてみせる。
「その気弱なところ治した方が良いわよね……今回はいいわ」
 手早く手を洗うと、すぐに事務所の出口からでると青年に声をかける。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
 声に振り返る青年。
 丁度背丈は同じぐらいで、見た感じ――思ったよりも幼い感じがする。
「あー、いや、車を探してます」
 それは判る。車屋で野菜を探す馬鹿は居ない。
「どのようなものを」
「えっと……実は、まだ初心者でどんな車が良いのか判らなくて」
「あ、そうなんだ」
 少しだけお姉さん納得、そんな感じで笑うと。
「じゃあ、どんな風に車を使いたいかから考えた方がいいわよね」
 振り返りかけて、店長にだけは会わせない方が良い、と取りあえず立ち話する事にした。


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