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Steel Tormenter
Chapter:1

第3話 ホンダ EG6-1300763


 初めはスターレットから取りあえず確認してみることにした。
 スターレット、EP91はFFで最終型のスターレットである。
 この後Vitsが世に出ることになる――訳だが、スターレットの方が、そもそもコンパクトである。
 見た目もすっきり小さい。まんま一回り小さくした雰囲気がある。
 軽自動車のボディに過激な1.3リッターターボという組み合わせがこの特徴で、下位グレードの方が普通に乗れる。
 これが並んでいるのは人気だけではない。趣味だ。
「小型車って言うより軽自動車のサイズよね。それだけきびきび走ってくれるけど」
 軽快も通り過ぎれば過激である。きびきびも行き過ぎればじゃじゃ馬である。
「小型車って結構大きめなんですか」
「小さい方が好き?」
 にこっと笑って返すと、綾は困った顔をする。
「好きというか、ぶつけなくて済みそうだし」
「大丈夫、慣れればどんな車もぶつけないし、どんな車もぶつかるものだから」
 じゃあこれで、とはいかない。
 提示した車両はもう一両有るわけだし、彼は初心者である。
 取りあえずみたい車は見せておくべきだろう。
 それに――綾の様子から、これが本命ではないのも間違いない。
「ねえ。結構好きそうね」
 え?と戸惑いの表情で見返してくる青年も、まだ少年という方がぴったり来るぐらい幼い。
「ほら、昔プラモデルとかラジコンとか、今だったパソコンの組み立てとかしたことない?」
 あう、と思い出そうとしているのか図星なのか、声を詰まらせて明後日の方へ視線を向ける。
「結構好きでした」
「ほら。そう言う時って結構凝って作っちゃう方でしょ」
 笑って、彼女は一台の車を指さした。
「買えないけど、見るだけならいいでしょ。あれがミラージュ。ほら、あの白い、前に丸いフォグランプが二つくっついた車」
 真っ白いボディに丸っこい雰囲気の、どちらかと言えばずんぐりむっくりした車。
 そのヘッドライトの真下辺りに馬鹿でかいランプが鎮座している。
「外観はラリー仕様だけど、実際には普通の車だからね」
 そう言って彼女はゆっくり車まで歩く。
 綾も彼女と一緒に車に向かう。
「次がシビック。勿論シビックって言っても世代があるから」
 と言って案内した先に並べられていたのはEK4とEG6。
「こっちが新しくて、こっちが古い方。このグレードでこの年式だと、こっちの方がお買い得だけど」
 とEK4の方を指さす。
 だが中古車の場合年式だけで並べるとおかしな現象が発生する場合がある。
 特に走りに使われていたとされるグレードの場合、年式が新しいとしてもやれていて駄目な場合がある。
 EKとEGなら逆転はないだろうが……。
 綾は迷うことなく蒼いEGに目を向けた。
 EK初期型は外観がスリムではないし、EK9の登場により廃れてしまった車とも言える。
――何となく、ごちゃごちゃしてる
 綾の印象はそれだった。
 EK4初期はバンパーにゴム製のバンパーガードが有り、またこの世代でグリルが復活したのでデザインとしてはかなり凝ったものになっている。
 それに比べると、EG6はグリルレスで単調なデザインだ。
 どちらかというと、もう少し飾り立てても誰も文句言わないんじゃないか、と思うほどである。
 EG4との外観の差もフロントリップぐらいであり、それもよく見なければまず気づかない。
 ちなみにこの中古車屋では値段はEG6の方が若干高かったりする。
「あれ、判る?実はそっちは無事故で距離もこの時期3万しか走ってないの。程度は極上」
 綾が何か言おうとするより早く、ちゃりと音を立ててキーを差し出す。
「開けてご覧下さい、お客様」
 少しだけ茶目っ気を出して、嬉しそうに言う。
 流されるまま言われるままに、彼は差し出されたキーを受け取って開ける。
 EGのノブは奇妙な形をしている。真横に開く変形タイプだ。
 少し戸惑いながらノブを引き、扉を開く。
 ぺりぺりぺりとゴムが剥がれる音がして、車内の匂いが漂ってきた。
 新車に乗った時の匂い。オイルなんか感じさせない独特の香り。
「内装、若干汚れがあるけど……」
 しかし屋外で保存されていたものではないようだ。
「エンジンかけてもいいよ。何なら試乗しても」
 言われるままにコクピットに乗り込もうとして。
「つぇてててて」
 ごちんと勢いよく側頭部を強打する。
「あ、ごめんなさい。頭引っかけやすいから」
 改めて頭を避けてシートに座り頭を下げる彼女に右手を振って見せる。
 シートは少し堅めだが、包み込むような形状に体を落ち着かせてシートを合わせる。
 シフトノブに手を伸ばす。
 恐らくウレタンか何かだろう、ひんやりとした合成皮の感触に手が吸い付く。
 こく。こく。非常に軽く柔らかいミッションの感覚。
 ニュートラルを確認してからクラッチを踏む込み……。
 キーの位置が判らない。
「あ」
 横から風香がハンドルの根本を指さす。
 この車のキーは変なところにある。ハンドル付け根に垂直に差すようだ。
 苦笑しながら綾はキーを差し込んで、かちりと一度回転させる。
 感触と共に電気が流れる時のぶぅんという音がして、リレーの音が響く。
 そして、彼はさらにキーを回して――

  きゅる ぼぉおぉぉぉぉぉ

 思ったよりも早くエンジンが掛かり、独特の低音が室内に響き渡る。
 クラッチから足を離して、軽くアクセルに触れる。
 途端、まるで跳ね上がるようにタコメーターが踊る。
「うわぁ」
 勿論教習車はそんなに敏感に作っていない。
 老若男女、初心者が乗らなければならない教習車にトヨタの車が選ばれる理由はそこだ。
 尤もここ最近はA/T教習が当たり前になりあまり考えられていないが。
「結構パワーのある車だからね。教習車とは大分違うでしょう」
 パワーがあると言ってもそれは、同じクラスの車と比べての話であって、初心者向けの良い車でだと言えるだろう。
 同系統の他社モデルとも言えるトヨタのカローラレビン、スプリンタートレノがクーペボディを採用しているのに反し、ホンダはハッチバックを貫いていた。
 これは両社の思想の差を反映しているのだ。
「どう?」
 綾はコクピットでエンジンの鼓動を聞きながら、色んな違和感を感じていた。
 まず、ハンドルがやけに膝に近い位置にある。
 妙に足を投げ出して座る恰好。これはクラウンのように普通に着座している感じとは全く違う。
 加えて、体を支えるようなタイトなコクピット。
 ゆったりという言葉とは反比例するのに、締め付けられるような感覚ではない。
 狭いのも慣れれば多分気にならないだろう。
 初めての車だ。真剣に選ぶべきか、車を知るために見つけた車を選ぶべきか。
 しかし、半分彼の心は決まっていた。
 エンジンを切り、キーを差し出しながら彼は言った。
「……取りあえず見積もり上げて貰えますか」

 車体価格、手続きから保険まで全て合わせて丁度90万。
 これはこの年式の車で高いと言うべきだろうか。
「消耗品、オイルと冷却水は点検して駄目なら交換。他気の付くところが有れば直しておくよ」
 契約書にサインを書き入れながら綾は頷く。
「何時取りに来る?何なら乗って帰っても良いよ」
「いえ、そこまで急ぎません。ナンバー取り直して、出来たら連絡下さい。お金もその時で良いですね」
 おう、と社長が答えて書類を取り上げる。
 そして名前を見て、眉を寄せると綾の方を見て。
「……」
 綾も苦笑いする。
「女の子と間違いそうな名前だね」
「良く言われます。名前だけならよく間違われるんで」
 あははと笑う綾を見ながら苦笑する風香。
――多分、お化粧して着飾ったら笑えないと思うけど
 にこにことお辞儀して見送りながら、余計な妄想が膨らみそうなのを何とか振り払った。


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