>
戻る

Steel Tormenter
Chapter:1

第5話 スカイラインの男


「え?」
 綾は下宿に帰って、食事と風呂を済ませてレポートの最中だった。
 備え付けの電話が鳴って、いやな予感はしたのだ。
『だーからー、今箱根ー。なんか一人でさみしーねん』
 相手は友人の林良二だった。
 短く刈り込んだ頭に、大雑把な性格の神戸出身。
 進学校に行った癖に機械を専攻したいという理由だけで、受験校を勝手に選択。
 殆ど勘当のような形でわざわざ静岡くんだりまできたという奇特な男。
 ちなみに槻御原綾とはゼミが同じ。
「箱根って、お前レポートは?」
『んなもん同じ同じ。今やらなくてもできるもんはできる』
 無茶苦茶な理由だ。
 時計をちらりと見ると、丁度二十二時を指したところだ。
「……お前、絶対やってないだろ」
『うるせー。それより、今日ディーラー行ったんやろ?どこよ』
 彼は自動車部に所属し、彼の乗るGT-R(33R)は自分で全部整備している。
 かなり派手に乗り回しているのでちょっとした有名人だったりする。
「あ、うん、結局どう言うのが良いのかさっぱり判らなくて」
 綾がクルマを買おうと思ったとき、一番詳しいと言う理由から彼に相談したのだ。
 今日ディーラーに行くというのは前から話をしていたことだ。
 彼は自分の車の整備やらで部活のために時間はとれなかったので、気になっているのだろう。
 しかしそれなら直接聞きに来ればいいのだが。
『ああ』
 彼はそこで一瞬言葉を切った。
『まあそうだろうな。お前だったらFFでいいよ。けつ流れにくいし、初心者はFFに限る。最近は結構早い奴も出てるしな』
 はあと気のない返事を返す綾は、FFすら何のことか判らない。
『ああ、安心しろ、最近は大抵直列四気筒横置きFF、このパッケージが主流だから』
 ついでにN/Aだな、と付け加える。
 そう言う意味では彼の車は異質かも知れない。横置き直列六気筒ツインターボで4WD。
 事実、このスカイラインに搭載されるRB26DETTは既に生産を中止している。
 排気規制と燃費の問題がスポーツカーに影を差したのだ。
 この為多くの人気車種はその後継を見ることなくこの世を去ってしまった。
 ロータリーエンジンはレネシスという新型がロールアウトしたがN/Aだ。
 スポーツカーというカテゴリを外せば、彼の言葉は大半が正しい。
 スポーツカーですら半分は当てはまってしまう。
 排気の規制と各メーカーの努力の方向性が変わってきたとも言えるし、また消費者の趣味嗜好ともとれる。
 仕方のない事実だ。日本では大量生産された大衆車としての『乗用車』しか作られない。
 クルマと呼べるモノは、作られていないのが現状だ。
『…見積もりは?』
「えっと。もう決めてきた」
 そう言うと向こうで落胆したような何とも言えない声がした。
『なんだよーっ!買ったのか買ってないのかはっきりしてくれよっ!』 
 何で怒鳴っているのか判らない。
「えっと。うん、ごめん。一応ね、国道沿いのカンダモータースってとこにいって決めてきた」
『カンダ?あ、ああー、うちから遠い、それにホンダ系やん、そこなら。何買った?』
 えっと。
 綾は鞄から貰ってきた契約書をさらりと目を通す。
 車名。
「ホンダシビック」
『んー、年式は?』
「平成七年」
 今度は頭を抱えているような奇妙なうなり声がしてくる。
『んあー、ええわ、カンダモータースならクルマ即出ししてくれたやろ?』
 何となく何が言いたいのか判った気がする。
「ごめん」
『何ーっ!馬鹿野郎、クルマ詳しくない人間がクルマ手元になくて説明できるか?!』
 これはただ単に興味なのか、それとも悪い知らせなのかと思いつつ、ディーラーの会話を思い出して取りあえず行ってみることにした。
「あ、あのね、そう言えばシビック買う時、安い新しい方じゃなくて高い古い方にしたんだよ」
 今度は息を呑むような沈黙があった。
 先刻まで騒いでいた良二の声が完全に消える。
 変わり、風でも当たっているような低い雑音が聞こえる、ということは、今エンジンかけっぱなしで車外で電話中なのだろう。
『念のため、な。それ、両方シビックの話なんやな』
「うん。同じ年式でこっちの方がお買い得って言ってたけどやめた」
 電話向こうの良二が、もし綾の下宿に来ていたら多分思いっきり頭をはたかれていただろう。
 しばらく沈黙するので気になった綾が声をかけると、気味の悪い笑い声が聞こえてきた。
『くくくく……くっくっくっく!』
 何が嬉しいのか、何故嬉しいのか判らないが、どうやら嬉しくて笑っているようだった。
『今言ったパッケージの中でも尤も凶悪な物をお前は選んでしまった!』
 背中に書き文字を背負って、思いっきり人差し指で差される感じで、綾は断言されてしまった。
 今度は綾が応答を判断しかねて沈黙してしまう。
「それって安い新しい方にした方が良かったの?」
『多分、話だけじゃ判らないけど、大した差はないから高い方でいい。安いのは不人気だからだ』
 対して差がないならやすい方が良いような気がするのだが。
「違いがないなら安い方がいいじゃない」
『馬鹿、そう言う違いじゃない。全然その二つは違うからな』
 興奮した物言いで、彼は嬉しそうに文句を言う。
――無茶苦茶矛盾してるじゃないの
 全くその通りである。
『なんでそれで今日貰ってけーへんねん。お前俺に真っ先に見せろよ、くそー、箱根に呼びださなあかん』
「何言ってるの。どうせ踏むつもりでしょー。僕の車は君の車とは違うんだから、その辺考えて運転してくれないと困るよ」
 ふっふっふ、と良二は笑う。
『知らないからそう言う事が言える。ま、取りに行くとき連絡してや』
「あ、うん。連絡するよ」
『ちくしょー、綾がクルマ持ってないならさみしーやんかー、何で今日誰もいないわけ?』
 みんな大学のレポートを真面目にやってるんじゃないか。
 思わずそう言いそうになったがやめた。
「丁度いいじゃん。引き返してレポートやりなよ」
 くすくす笑いながら言うと、向こう側でため息を付いているのが判った。
『わーった、わーったよ。みんなして俺をはめたんやな。畜生』
「気を付けて帰りなよ」
 るせー、という声と共に電話は切れた。
 車は一週間ほどで納車のはず。それまでに、多分彼が言いふらして回るのだろう。
――意外と良い買い物だったのかな
 彼自身気づいていない、というか知らないので車の価値は判らない。
 それは良くも悪くも今後に大きく影響を与えてくるのだった。


Top Next Back index