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Steel Tormenter
Chapter:1

第6話 あやか


 電話が来たのは、丁度昼食前の事だった。
 こんな時携帯電話の普及を嬉しく思う。
 尤も、ゼミの最中でなければもっと良かったのだが。
『ごめんなさい、大学生だったんですね』
 先日会った女性の声が携帯から聞こえてくる。
「いえ」
 大学生である事はあんまり関係ない。
 彼は学食の隅に陣取って、サンドイッチをかじりながら応える。
『納車なんですけども、どうしましょうか』
「どうって、なんですか?」
『うちはサービスでガソリン満タン・直接納車をしてるんですが』
 普通はガソリン満タンはない。結構ガソリンも馬鹿にならないからだ、が、空っぽの車は勿論走らない。
 走らなければ給油も出来ない。
 また直接納車という手段も、一人では無理だしこれもまたあまり行わない。
 尤もローダーを出して納車する事は不可能ではない。通常は金がかかるが。
「いえ、取りに行きます」
『そうですかー。判りました。ではお待ちしていますので』
 携帯を畳んで胸に入れる。
「おう、どうするよ」
 彼に声をかけるのは、彼の前に座った男。
 既に半分しか残っていないうどんの汁を吸いながら、綾の様子を窺う。
「うん、林君にはお願いしない」
「その顔で林君いうな!たく。わーったわーったよ。こそーり後ろ着いていって、受け取ったら帰り道あおりまくっちゃる」
 良二はふん、と鼻息荒く言うとうどんの残りをずぞぞぞとすする。
「ははは。でも良いよ、今日はゆっくり行きたいし。歩きで良ければついておいでよ」
 別にそんなに遠いディーラーでもない。歩いてもさしたる距離ではない。
「あー。……カンダモーターだったよな……うちからは逆なんだよな」
 大学に駐車場を借りて乗り込んでいるから、一度車を家に置いていかなければ明日は歩いて来なければならない。
 ちなみに、綾の近所でもない。大学を挟んで反対側だ。
「あそっか。ごめん」
「いや。やっぱりこそりついていって煽っちゃる」
「だったら来るな」
 そう言って、綾はコーヒーカップを取る。
 綾はミルクたっぷりに砂糖少しで飲む。良二はコーヒー嫌いで、紅茶をストレートで飲む。
 はっきり言って性格は逆さと言っても過言ではないが、何故か気が合うようだ。
「なんや良二、またあやちゃんいじめてんのか」
 左右に三つ編みを編んだ、眼鏡の女性が姿を現す。
「おぅわっ、ちっさい先輩いきなりのご登場っ」
 だれが小さいねん、と言うと、良二の隣に座る彼女。
 歳は良二より二つ上、機械工学専攻でダートトライアル同好会の会長を務める柴田あやかだ。
「先輩、私はりょうです」
「んはー、可愛い可愛い。ごめんって。そんな顔しーないな」
 あははと笑い飛ばして、彼女はスプーンを手に取った。カレーだ。
 彼女の好物はコロッケで、コロッケに合う食べ物は皆彼女の好物の範疇に入るのだ。
 勿論コロッケカレーだ。
「でも聞ぃとったで。綾ちゃん、とうとうダートラ同好会入る気ぃなったんや!」
 上機嫌であやかはスプーンをくるくる回して笑いかけてくる。
 既に、納車までのこの一週間ほどで綾の中古車購入の話は知り合いのなかに知れ渡っていた。
 その車が『EG6』であることも調べは付いていた。良二の手によって。
「入らん入らん。なんでそんな自分に有利な妄想できるかなこの先輩は」
 良二が右手をひらひらさせて言う。
 ちなみに良二は自動車部、歴とした公認クラブであり、彼自身B級ライセンス所持でJAF公認トライアルにも参加している。
 別に仲が悪いわけではない、ダートラ同好会も元は一緒だったのだが、いつの間にか別れてしまった。
 ターマックもグラベルも同じジムカーナ競技と呼ばれるスラローム競技だ。
 但し車は全く別物になるので、規定も違うし車両の組み立ても代わる。
 とは言えN車ではアンダーガードの有無とタイヤの種類ぐらいしか変わらないのだが。
「そんなこと言うたかて自分、綾ちゃん自動車部ちゃうやろ」
「五月蠅い。先輩かてEP82なんか乗ってないで、S2000でサーキット行きましょ」
 そう。EP82スターレットは名車で、部品流通の都合上ダートではポピュラーな車だ。
 800kgしかない重量に、1.3リッターターボというキチガイじみた設定のFF車。
 コンパクト故にリアの振り出しが早く、非常に小回りが利き、しかも丈夫ときたらダート向きであると言えるだろう。
 下手すれば。クラス違いの車でも充分射程範囲に入る車なのだ。
「あー。なんかちゃ、自分そう言うな」
 ぽりぽりと右人差し指で頬をかく。困ってるような顔だが、まんざらでもないようだ。
「先輩なんでダートなんですか」
「綾ちゃん。良い質問やな」
 良二に爪のあか飲ませたれ、と言って一口カレーをほおばる。
「よぉ滑るからや。低速で車体の動きを知る事ができるから、簡単に言えばドリフトの勉強ができる」
 荷重移動が判らなければ、ダートトライアルでは勝てない。
 各タイヤにかかる荷重をコントロールし、アクセルもブレーキも丁寧にコントロール出来なければいけない。
 それがダートの難しさだ。
 舗装路の上ではタイヤのグリップは非常に強く、多少の破綻はタイヤが吸収する。
 特にハイグリップのタイヤは簡単に滑らず、剛性も高く簡単に破綻できないようになっている。
 しかし使いこなそうと思えば結局は荷重移動を憶えなければ、グリップ走行で早く走る事は出来ない。
 それどころか、初心者のうちに使ってしまいタイヤにたよるようになれば、ドライビングテクニックは上達できない。
 テクニック上達には、どう滑らせるかではなく滑る状況を憶えて『どう復帰するか』が重要になるとも言える。
「ど、ドリフトですか」
 綾には勿論それどころの騒ぎではないので、ただ驚くだけだが。
「どや?興味でてきたやろ?」
「EG6乗り、それもノーマルだからって誘うな」
「うっさいわ」
 なんだかんだ言っているが、別に二人も仲が悪い訳じゃない。
 と、言うよりも良二はどうやら惚れてるようなので(多分あやかも気づいてはいるが)、こうやってじゃれてるのだろう。
「EG6速いからなー。やっぱサーキットやろ。ダート乗せたら泥だらけで部品もないし」
 ホンダは足回りの脆さがありダート向きではない。とはいえEK9が優勝候補に来るのは言うまでもない。
 動的性能だけみれば、同クラスではかなりの性能だからだ。
 EP82はあくまで、全国区ではなく地方大会レベルということだ。
 あやかが遅いわけではないが。
「何言うてるんや。サーキットに行ったらオイルでブローするわ、パワステ飛ぶわで散々やないか」
 けんけんがくがく。
 車好きの論議は、取りあえず昼が終わるまで続いた。
 綾はそれを聞き流しながらコーヒーを二杯飲んだだけだった。


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