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Steel Tormenter
Chapter:1

第7話 納車


「ともかく」
 けんけんがくがくの話は決着が付かずに終わったようだ。
 そもそもこういう話し合いは決着なんか付かない。
 車好きは、自分の車が最高としか考えてない連中ばかりだからだ。
「綾ちゃん車取りに行くなら、うちも行ってええやろ?」
 相当好きらしい。断ろうにも断る理由はないし、綾もこの元気な先輩は嫌いじゃない。
「え、いいですけど」
「なにー、何渋ってるん自分。うちのこときらいやってんな」
 と、食べ終わって綺麗になったスプーンを、まるで武器か何かのようにずいと鼻先に付きだしてくる。
 慌てて下がると、彼女は身を乗り出してさらに付きだしてくる。
「いえ、そうじゃなくて車どうするんですかって」
「決まってる、乗ってく」
 今更何を、というような口調で言い、あやかは椅子に戻る。
「なんや何を困っとんねん」
 ふん、と鼻息荒く言うとじろ、と二人を見比べる。
「えと。歩いてディーラーに行こうって言ってたんですよ」
「そそ、だから車で行くって言っても先輩の」
「良二、あんたトランクな」
 スプーンが水平に走り、今度は良二の鼻先に突きつけられる。
 思わず。
 ぱく。
「!」
「この弩阿呆ぉ!」
 がいん。
 早かった。あやかは彼の行動が見えた瞬間には既に左腕を振りかぶっていた。
 関西人の突っ込み体質だろうか。
 思いっきり振り下ろされた彼女の拳が良二の頭に沈む。
「なにさらしてんねん!あーきたないっ!あんた、それ返しときや!」
 流石に怒りを買ったのが判ったらしく、良二は目を回したままこくこくと頷く。
「もーええわ、あんたなんか知らへん。綾ちゃん、うちが送ったるから、ゼミ終わったらうちの車まで来てや」
 がたん、と派手に音を立てて彼女は立ち上がり、ずかずかと歩き去っていった。
「ええと」
 彼女は返事を待たなかったし、反論する暇も与えてくれなかった。
 良二は目を回してくわえたスプーンをどうにか自分のどんぶりに入れて、ふらふら立ち上がるところだった。
「ちょ、ちょっと良二」
「んあー、もうゼミ室もどるわー。次C棟で俺般教(ぱんきょー)だからー」
 それなりにショックだったようだ。
 ろれつは回ってる物の、どうにも意識が怪しい。
 多分ショックで色々後悔したり、その逆も在るのかも知れない。
 ともかく、今何を言っても多分あまり聞いていないのは確かだった。
「判った。じゃ後で連絡するよ」
 綾はそれだけ伝えて、彼と別れる事にした。

 連絡するとは言った。実際あやかの所に一人で行くのは彼に気が引ける。
 別にまだもなにも、彼は告白していないのだが。
 しかしあやかのS2000は二人乗り。一人は荷物扱いでトランクという冗談はともかく、行ったところでどうしようもない。
 ない、にはないのだが。
「あんなぁ」
 案の定あやかは渋面を見せて呆れたように小首を傾げた。
 彼女は愛車、シルバーのS2000の助手席側で体を預けて立っていた。
「うちもう話とぉない」
 そういうあやかの足下で、良二は土下座していた。
 冗談で、つい、思わず、色々言い訳しながら額を地面にこすりつけている。
 数分そんな事が続いたが、彼の後ろに綾がいて苦い顔をしてすまなさそうにしているのもあって、放置という選択肢が選べない。
 いつもなら放置して帰るのだが。
「あー、もぉしゃあないわ。良いから、許したるから。その代わりもうせぇへんな?」
「しませんしませんっ!ノリと勢いでも線引きして考えますっ!」
 或る意味男だな、と綾は思った。
「で。今日は綾ちゃんの車取りに行く話なんやけど」
 あ、と綾が言葉を継ごうとすると、良二は立ち上がって右手を振った。
「ああ、自分は帰りますんで、おふたりで」
「そう言うと思ってたで」
 ふん、と鼻で笑って、あやかは自分の車の助手席の扉を開き、そのまま横に座る。
 開いたドアに右腕を乗せて、頬杖で良二を見る。
 挑戦的な笑いだ。
「でも、見たいやろ?往年の名車EG6、しかも知り合いが選んだんや」
 頬を浮かせて、そのまま右手をくりっとまわして人差し指で彼を指さす。
「どうや。今日はこの子オイル換える時ゃし、三人で箱根ってのは」
「ちょ、あやかさんまで」
 割ってはいる綾の意見は、この身勝手な女にはまず通用しない。
「えーからえーから。良二、ジムカーナで充分腕鍛えてるんやろ?」
「……それはつるんで走ろうって事やなくて」
 あやかは口元を歪めて応えた。
「場所は後で教える。時間は22時で」
「いえっさーぼーす!綾、お前あやかさんと行動しろ。元々箱根はこの人に教えて貰ってるんやから」
 じゃ。と右手をすちゃ!と上げると彼はすたすたと小走りに走って消えた。
 多分自分の車をそのまま部室に持ち込んでメンテナンスでも始める気だろう。
 それを見送りながら、たらりと冷や汗を流す綾。
「さ、おねーさんがあたためておいたから、座り」
 あやかは立ち上がって、ぽんぽんと綾の肩を叩く。
「え、あの」
「良いから乗りぃ。うぶなんもえーけど、うちは冗談ぐらい返して欲しいクチなんやから」
 彼女は笑いながら車の前を周り、運転席へと体を滑り込ませる。
 おじゃまします、と言いながら助手席に入るとあやかは赤い、エンジンスタートボタンに指をかける。
「最近は便利になってんやで」
 押し込む。スターターが鳴り響き、すぐに特有の機械音と重低音が響き渡った。
 S2000は純正触媒がスポーツ用メタル触媒であり、徹底した排気効率で作られた逸品である。
 あやかは実家近くのマフラー専門ショップでワンオフを特注したと言う。
 元がオープンカーだけに、こもり音以前に外から幌越しに音が入ってくる。
「電波でオートスタートするやつあるやろ?アレにリレー噛ませてキーレスにしたってん」
 嬉しそうに言うが、綾は何のことか半分ほど判らなかった。
「じゃ、いこか。どこのディーラー?」
「え、と。旧道沿いのカンダモータースです」
 よっしゃ、と女性らしくない掛け声をだして、彼女はS2000を駐車場から発進させた。
 クラッチの繋ぎも、アクセルの煽りも決して乱暴ではない、スムーズな運転。
 シフトチェンジの激しい6速クロスが載ったこの車でも、殆どシフトショックを感じさせないのは相当の腕ということだ。
「でもホンダ車かー。ホンダ乗りが増えて嬉しいわぁ」
「そうなんですか?」
 そうや、と返事して、彼女は一時停止に合わせて幌を上げた。
 日差しが気持ちいいこの季節、オープンカーを開けずに走るなんて勿体ない。
「走るにはホンダやから。勿論他の会社の車で良い車はあるけど、走りに妥協のないホンダは初心者向けなんや」
 但し、と言ってぺろっと舌を出して見せる。
「うちらみたいな走り好きな連中にとってはってことやけどな」


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