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Steel Tormenter
Chapter:1

第8話 初心者のツーリング講座


 俗説がある。
 トヨタは足が柔く弱い、ニッサンは内装が脆い、ホンダはボルトが錆びやすくボディが弱い、マツダは走らない。
 これは一時期の噂の範疇であり、一概に言いきれる物ではなかったが中古車市場を回る際の参考にはなった。
 スポーツカーだけで焦点を当てれば、同世代同時期という観点で各社の車を横並びにすると面白い結果になる。
 実はホンダはスポーツカーのカテゴリとしてNSXを至上とするために、他社がスペシャリティと呼んで出していたスポーツカーのカテゴリとしてはプレリュードぐらいしかなかったのだ。
 また商用車をラインナップしないという或る意味勝負をかけたラインナップでもあり、そう言う風に捉えるとEG6という車は特殊だった。
 当時、ファミリーカーの代表格でもあるシビックの最上位グレードであり、その味付けは極端とも言える程スポーツに寄っている。
 後に販売されるEK9はまさにその流れから当然のように生まれるべき存在とも言えただろう。
 或る意味、スカイラインとGT-Rの差のようなものが当時から素地としてあったからこそ、Type-Rというブランドに乗りやすかったのかも知れない。
 S2000はS800に続く系譜として復活させたブランドのようなもので、中身はType-R相当のメカが搭載されている。
 ホンダにとってはしばらくぶりのFRであり、やはりインテグラType-R初期のような尖りすぎた仕様はその手の人達にすら『乗りにくい』と言わしめた程ピーキー。
 社外品の車高調と言えば通常乗りにくくなるものなのに、逆に柔らかくマイルドになるという逆転現象がこの車においては見られたという。
「そうや」
 走り慣れた公道。
 カンダモータースに向かいながら、あやかは言った。
「綾ちゃん、来月確か誕生日やろ」
 大学1年で、誕生日の遅い綾はまだ18。
 免許は勿論取れるが、大学生の中では最も若いと言える。
 ちなみにあやかは4月1日生まれで一番年上であるが、本人を目の前にして言うと多分どつかれるだろう。
「ツーリングとかどない?ああん、別にめちゃくちゃすっとばそう言ってるんちゃうから」
 そう言うとに、と口元を歪めて、左手をオーディオに伸ばす。
 前を向いたまま慣れた手つきでCDの再生ボタンを探り当て、叩く。
 聞き慣れたポップスが流れ始める。
「少しでも距離乗って慣れるのは大事。自分も、勿論車も。ならしってあるやろ?」
「え、でも中古ですよ」
 あやかはにっと笑って右手の人差し指を立てて左右に振る。
 予想通りの反応に楽しんでいるようだ。少し嬉しそうにも見える。
「中古は前のユーザーの癖が残ってるもんやから、丁寧に扱って自分の癖つけなあかんねんな。判る?」
 ちょぉむずかしいかな、と言いながら丁寧にシフトダウンしていく。
「たとえばな、今普通より高回転をキープさせてる」
 S2000は9000回転を常用域に設定された非常に良く回るエンジンだ。
 そのエンジンが今5000を越えて回っている。
「ここまで軽く回らないエンジンはない、と思うか?」
「いえ、これは」
「いっとくけどS2000でもその辺のぼんぼんが乗っとったら、ここまでで精一杯やで」
 と、クラッチを切ってほんの僅かアクセルを踏みきる。
 狂ったようにメーターが一気にレッドを示し、デジタルタコは総てのLEDを点灯させた。
「これだけレスポンスするのは、きっちり慣らしてきっちり回してる証拠や」
 実際、ぼろぼろの競技車でもエンジンの生きがいいのは、レッド近くまできっちり回してるからだと言われる。
 尤も回しすぎたりリミッターを叩いた場合、エンジンそのものの寿命も大きく縮むので余程うまい人が使った良い車でなければならない。
「せっかく買ったんや。可愛がって、元気よぉ乗り回してやりたいやろ?」
 そう言ってにっこり笑って、稜の方を向いた。
「はい」
「できれば稜ちゃんには、車好きになって欲しいなぁ。うち、色々教えたるさかいに」
 はははっ、と彼女の笑う明るい声が響いた。

 カンダモータース、お客様駐車場の一角。
 『お、あれ違うん?』と指さした位置に綺麗な蒼いシビックがいた。
 あやかはそのすぐ隣にS2000を停めると、すぐに幌を上げる。
 稜は先に降りて、自分の車であろうシビックを眺める。
 多分そうだろう。車の中には何も乗っていない、非常にシンプルだ。
 人が使っている車なら、アクセサリーを嫌う人でも多少なりとも小物が乗る。
 こうしてみる限り何も乗っていない。
「どう?」
「多分これです。ちょっと行ってきます」
 手を振るあやかをそこに置いて、事務所に入ると、すぐに応対してくれた事務の女の子が反応した。
 にっこり笑って、すぐに椅子を勧めてくる。
「お引き取りですねー、準備できてますよ」
 そう言って、シンプルなキーホルダーのキーを差し出してきた。二本ぶら下がっている。
「スペアは大事に持って置いてくださいね」
「はい」
 樹脂で固めた根本を持つ、スターターも何もついてない非常にシンプルなキー。
 Hマークだけが存在感を持っている。
「大丈夫ですか?帰れますか?」
 彼女、風香はキーを見つめる男の子にほほえましい物を感じて小首を傾げて聞く。
「はい、一応先輩来てますから」
「あ、そなんだ。じゃ、ご案内しますね」
 そう言って彼女は一緒に事務所をでる。
 案の定、S2000の隣のシビックだった。
 風香は『先輩って、もしかして女の子かなー』などと思いつつ、案内するシビックの隣に止まるS2000を見て納得する。
「モデューロエアロ加工?」
 モデューロというのはホンダ純正の外装品で、オプション装備の一つだ。
 最近は専用エアロ(グレード違いでは装備できない)を設定している車種もある。
「お、お嬢さん通やね」
 返事はシビックの後ろから聞こえてきて、一瞬風香は驚いて丸い目をする。
 だが、姿を現したあやかにすぐににっこりと笑って応える。
「違うでしょ、なんだ、先輩ってあやかちゃんだったの」
「え?って、知り合いですか先輩」
「お客、おーきゃーく。ただの。ここ、ディーラーの割には勿体ない整備員連れてるから」
 にへへと笑うと頬をかいた。
「何度か修理頼んだこともある。ディーラーでないと純正品手に入れにくいしなぁ」
「うちの部品屋は社長とつーかーですから、仕事が早くて」
 風香も笑いながら言う。大型量販店のようなディーラーとは違う根の強さというところだろうか。
 じゃ、と言って、綾は取りあえず車にキーを差して回す。
 がちゃりと音を立ててキーは外れるのだが、ドアノブの形に一瞬戸惑った。
 ドアノブが横開きで小さい作りになっている。非常に不便だ。
「この車、独特やね」
「デザイン優先といった感じで、小型で可愛いから好きですよ」
 綾は『そうか?』と思いながら取りあえず乗り込んでみる。
 この間も見たが、慣れない位置のキーシリンダにキーを差して、クラッチを踏んで、ニュートラルを確かめて、一度アクセサリへ。
 一瞬引っかかりを感じるが、ネジをねじ込む感じで押すとすんなりと回る。
 ぶぅん。
 通電する時の特有の音がして、警告灯が点灯する。
 そのまま、ぐっとさらに回しきる。
 きゅるというスターターの音はほんの一瞬、即座にエンジンはアイドリングを始める。
「綾ちゃん」
 こんこん、とあやかに窓を叩かれて、綾は窓を開いた。
「エンジンルーム開けて貰い。あと、車の説明を受けた方がええで」
 くい、と親指で差すと、そこにはまだ風香が笑って立っていた。


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