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Steel Tormenter
Chapter:1

第9話 『箱根』


 国道一号線という、東京と大阪を結ぶ総全長556.4kmに及ぶ国道の大阪より、神奈川県と静岡県の境に存在する。
 過去には関所があり、現在芦ノ湖周辺では再現したものをみることができる。
 しかし一般的に箱根というとこの周辺を総て含んだ表現と見なしている。
 これは、本来一つの山を指して言う言葉が、火山である箱根山の周辺の箱根由来の山も含んで呼ぶ為である。
 この為通常山道をひとくくりに、鞍掛山・明神岳・金時山・箱根山・屏風山・三国山を取り囲む広大な一帯を『箱根』と称する事が多い。
 もっぱら箱根峠を差す場合には「国道一号線」という或る意味遠回しな表現をする。
 また箱根-芦ノ湖のスカイラインが通じている為に長尾峠もこの一部に含まれて居る場合がある。
「ちょぉ、せんぱーい」
 厚手のロゴ入りの紺色のジャケットを着こみ、リボンと髪の毛を風になびかせるあやか。
 体が小さい分、大きめのジャケットがより彼女を小さく引き立てて見せる。
「は、箱根って言うたやん」
「あほたれ。確かにあっちも箱根山言うけどな、金時山ん隣も箱根山いうんやで。憶えとき」
 この場合は内輪山である神山・駒ヶ岳とは違うローカルな地名である。
「ほな取りあえず一本いくで。綾ちゃん、じゃ、戻ってくるの待っときや」
 そこは、箱根スカイライン御殿場側入口――長尾峠トンネル付近だった。

 時間をすこし遡る。
 綾は一通り車に付いて教えて貰い、あやかから注意を貰って、取りあえず自分の下宿まで乗ることにした。
「じゃあ綾ちゃん、今夜九時には向かえに行くから。シャワー家(うち)にある?」
「え、ええ」
 一瞬どきっとする。
「なんや何勘違いしとんねん。銭湯とか共同やったら自由きかんやろ。今日は今から寝て夕食八時頃済ませとき。あ、風呂はいいから」
 綾は渋い顔をする。
 良二の運転は判ってるし、恐らくあの良二が喜ぶのだから、どういう状況なのかは判る。
 時々箱根に一緒に行くが、大抵その辺の絶叫マシンと変わらない状況が繰り広げられるのだ。
「あの、わざわざ来て戴かなくても」
「何言うてんのんな。うちが一緒やないと箱根のどこか知らへんやろ?第一、車に乗り慣れてない初心者が山道一人やなんて」
 なら呼ぶなよ、と思ったが敢えて言わない。彼女には逆らえない。
「車には乗れるだけ乗ってその経験をつむこと。言っとくけど自分の車の幅も、パワーも、どれだけハンドルを切ったら曲がれるかも知らへん阿呆共にはなるなよ」
 はん、と彼女は大きく息を吐いた。
 綾がまだ不安そうな顔をしているので、にやりと笑うと親指でカンダモータースの事務所を指さす。
「あんな。良いこと教えたる。先刻のふーかちゃん、ああ見えて結構乗る娘やで」
 え、と丸い目をする彼に続けて言う。
「箱根はあの娘の通勤路やからね、前一回見たけどすごいセンスある走りすんねん。箱根路は場所によっては曲がりくねって、アップダウン激しいからな」
 嫌いな人は徹底して嫌いな山道。特にカーブが連続するようなコースで、狭くアップダウンが連続するとブレーキ・アクセルのタイミングや維持が難しい。
 その代わり初心者には良い練習になる。
「今日は綾ちゃん別に走ろう言ってるのと違う。始めての車を憶えるならいい場所があるから、そこを教えたげるって言ってるの」
「練習場所のこと?……箱根で?」
 にんまりと笑みを湛え、うんうんと頷く。
「そそ。すぐに腕上がるで。その辺のくさーったちんぴらのアブナイ運転見てて腹立つからな。一から教えたる」
 じゃ、楽しみにしとき、と言うと彼女はS2000に乗り込んで先に走りだしていった。
 実はあやかは祖父の家から通っており、結果歩くと遠い場所に住んでいる。
 ここから綾の下宿までと大学までを比べると、丁度倍ぐらいだろう。
――練習場所、か

 集合場所、乙女トンネル箱根側休憩所。
 御殿場側の茶屋は夜閉鎖しており、車を停めるにはあまり向いていない。
 路肩が広くバス停もあるため停めている人間はいるが、ゆっくり話をするスペースは存在しない。
 だから、トンネルを越えた先にある駐車場を使う。
「よぉ。やっぱり良いシルエットしてるな〜」
 まだ九時半なのに、既に良二は到着していてエンジンもかかったままだった。
 あやか先行でゆっくりと進入し、トイレの前の駐車スペースに車を並べる。
 その向こう側、自販機の前に彼の車はあった。
 二台ほど、道路沿いのスペースに停車している。
「こんばんわ。早いね良二」
 おう、と答えると、ちょいちょいと右手で車を指さしていう。
「見せろよ、エンジンも開けーよ」
「なんやなんや良二、お前も強引やなぁ。嫌われるでー」
 降りてくるあやかはエンジンを切っていない。
 それに気づいた綾はあやかと良二二人の顔を見て言う。
「エンジン切らないの?」
「ああ。冷えると良くない。そのうち判るし教えるから」
「急に停めるんも悪いんやで。ま、普通に乗って普通に走る分に不都合も問題もないけどな」
 曖昧に返事すると綾はボンネットを開けて、車から降りた。
「大抵うちらはここで集まって、その日のステージ決めるんや」
 良二が奇声を上げて車を見てるのを横目に、あやかは両手を腰にあてて言う。
 暗いせいもあるが、あやかはこうしてみると子供のようにも見える。
 なんとなく不自然。
「まー、箱根やったらここさらに下って、県道ごしで国道一号にでるけど」
 ちら、と彼女は良二に目を向ける。
「今日の『箱根』は、別の箱根や。箱根スカイラインって聞いたことあるか?」
「まあ、知ってますけど」
「箱根スカイラインはこっちを下ってすぐを右折して、狭い道を登っていく。今日の目的地はそこや」
 話が終わるのと、良二がボンネットを閉めるのはほぼ同時だった。
「ありがっとー。いいもん見せてもろたで」
 ぽんぽん、と綾の肩を叩くと、あやかの方を向いた。
「すぐ行く?」
「そうやな。綾ちゃんが初心者やろ、うち先頭でゆっくりいくから、とりあんたついて」
「うっしゃ。じゃ綾、すぐエンジンに火ぃ入れろ。でるぞ」
 あやかのS2000は勢いを付けて一気に回頭し、入ってきた入口に対して頭を向ける。
 良二はR33をシビックの隣にまで一度寄せて、窓を開けて助手席越しに綾に声をかける。
「綾、ゆっくり落ち着いてでいいからな」
「うん」
 まだEGの動きの端々は不自然にぎくしゃくしていていかにも初心者らしい動きをする。
――ま、大丈夫やろ。うちが初心者の時もいきなり峠やった気もするしー
 にたにたと悪戯をする子供が喜ぶようなイメージの笑いで、あやかは駐車場から車を発進させた。


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