>
戻る

Steel Tormenter
Chapter:1

第10話 長尾峠・仙石原側


 乙女峠がまだ開通していなかった頃、この山を越えるには長尾峠を通るしかなかった。
 古くはこの峠も有名な道だったのだが、いつのころからか舗装され、今に至る。
 長尾峠は御殿場側から登るとそのまま頂上でゴルフ場・仙石原側・箱根スカイラインへと通じ、道の割には利用者は少なくない。
 尤も楽にゴルフ場に行くには1号線から芦ノ湖スカイライン・箱根スカイラインのコースを取る方がいいだろう。
 長尾峠頂上付近を除けばその道の細さ・うねりが7kmもまさか続くとは思わないだろう。
 仙石原側でも3kmはある。
 しかも――

「無茶苦茶速いよあやかさんっ」
 綾にとっては信じられない速度で、彼の前を行くあやかは走り去っていく。
 乙女峠を越えた先、休憩所からすぐヘアピンを抜けて右折したあやかは、長尾峠を上り始めた。
 ゆっくりでいい。
 その言葉に安心した綾だったが、それはいきなりうち砕かれた。
 EGの暗いヘッドライトでは心許ない中、木々の影とうねる道には驚くしかなかった。
 入って少しも進まないうちにいきなり狭いカーブで、車一台しか通れないようにしか見えなくて思わず止まってしまったり。
 急な坂道での坂道発進でもたもたしたり。
 わたわたしてるうちに、すいすいとあやかのS2000は走り抜けていく。
「あー……ちっさい先輩……まさか」
 そして良二はあやかのその様子から嫌な予感がしていた。
 R33のようにホイールベースが長く大柄な車はこういう狭い峠道は苦手だ。
 勿論、彼自身も嫌いでかなり苦手な部類に含む場所だ。
 この時間箱根スカイラインは無料だが芦ノ湖スカイラインは閉鎖されている。
 有料道路を抜けるならこっちから箱根には向かわない。どうせどのルートもさしたる差がないなら、いつもの県道を利用するはず。
 特に今日は綾がいるのだ。狭いここを使う理由はないはず。
 仙石原側の長尾峠は、冗談みたいなセンターラインが引かれており、広い場所は普通の道路並あるが狭い場所は絶対に対面通行できない。
 道幅が変化しない御殿場側の方がまだましだが、距離はこちらが半分ほどなので結構楽である。
 尤も初心者にはどっちも大概なものなのだが。

 そして、綾にとっては永遠に続くかと思われた峠道は、ふっと開けて終了した。
 頂上の狭い駐車場に、あやかのS2000が停まっていて、ハザードを焚いてフェンダーに腰掛けていた。
 綾が何とか車を駐車させているうちに、R33から良二が飛び出して――で、事の真相を知る事になる訳だ。
「こんなところで走るんですか?」
 綾にとってはとても走るべき場所でもない、走れる所じゃない今の道を、二人で走るなんて無理だ。
 そう思ったが、あやかは首を振った。
「こっちでもええけど、メインは表側や」
 と、闇を指さす。
 闇ではない。トンネルだ。真っ暗で何も見えないが、奥の方で光が見える。
「ここを抜けたら左に箱根スカイラインがあるけどな、今日は右折してレストランからスタート。長尾のメインはあっちやからな」
 そしてにんまりと笑う。
「綾ちゃんは先に行って、ゴルフ場入口の右に見えるレストランで待っててや。後で綾ちゃんも走るんやけど」
 え、と言う顔をした彼に、嬉しそうに近づいて両肩をばんばん叩く。
「あほぉ。綾ちゃん無茶させへんよって。良二とうちで同乗して教えたるから」
 え、俺もと言う良二の頭を小突いて、彼女はそのまま自分の車に向かう。
 あやかの背に向かって『ほんま扱い悪いな』と愚痴る良二。
「じゃ、綾ちゃん、15分程の辛抱やで」
「判りました」
 初めてづくしの事ばかりで、いきなりばかりでかなり戸惑っている綾。
 まだ車のオーディオもカセットデッキが取り付けられているという、本当に何もない状態だ。
 そんなEGがよろよろとトンネルに入っていくのを見てから、あやかは良二に言う。
「ローリングスタートで、登り一本」
「うえー……本当に長尾で走るん?」
「うっさいな、あんたも教育されたいか!下りよりましやろが」
 がー、と噛み付くように言われて首をすくめる。
「うちが先頭、ええな」
「逆らいません。どうせ先輩の方が速いんやから」
 良二が投げっぱなしに言うのに、あやかはむっと口を尖らせて眉を吊り上げる。
「あーそー。うちと走りたくない言うねんな。判った。ついてこれんかったら後でしばいたる」
「えっ」
 声をかけようにも、彼女は窓を閉めて車を発進させてしまう。
「あちゃー」
 怒らせてしまったみたいだ。
 しかし、ボディサイズ・重量はほぼ似たり寄ったりのS2000とR33。
 実は駆動方式を考えると登りでもあるため良二の方が有利に思えるだろう。
 しかしそれは大きな峠での話。
 最高時速100km/hや過給をかけるのが命がけになるようなこの峠では、それは大きなアドバンテージにはならない。
 まして下りともなれば重量級のGT-Rはどの峠でも苦戦する。
 しかしそのパワーはそれを補ってあまりあるため、腕のある本当に速い人間はGT-Rのパワーを使いこなすのだ。
 もっとも。
――長尾は狭すぎるよ
 ドリフトさせる事が難しい前後可変トルク伝達システムアテーサを積んだGT-Rは、並の腕では勝てない、と言っても過言ではない。
 ホイールベースの長大な33であれば尚のことだった。
――コーナー多すぎるし……直線一カ所しかないのにどうやって追いつけっての
 だからと言ってもトルクの細いS2000ではいかにコーナーで攻めようとしても、登りでのドリフトが簡単にできるものではない。
 恐らくS2000よりロードスターの方が適当と思えるほど、ここのコーナーは狭くきついものが多い。
 もし選べるのなら――ここはロータスエリーゼ111、ASL我来也、さもなければジムカーナ専用車両が適当だろう。
 がーっ、というノイズ混じりの独特のエグゾーストを鳴らしながら、S2000は停まる素振りも見せず長尾峠を下っていく。
 それを慌てて追いかけるGT-R。
「みんなすごいけど……」
 ぼぱん、とアクセルを踏み換えてマフラーから音を立てる33が過ぎていくのを見て、綾はため息を付いた。
 初心者も初心者、初めて買った車でいきなりつれてこられて、不安ばかりで一人取り残されて。
――あーあ、楽しそうだなぁ
 二人が羨ましかった。
 あやかは昔から車が好きだったみたいだし、良二はがんがんレースやトライアルに挑戦して自分の車を作っている。
 でもみんな初めは初心者だったはずだ。
――あやかさんに教えて貰ったら、同じぐらいになるのかな
 手足のように自分の車を操って、狭い道を走る二人を見送りながら少しは前向きに考えてみようと思った。
「……さむ」
 とりあえず、エンジンをかけたままヒーターで暖まろう。
 まだ五分もたっていないのだから。


Top Next Back index