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Steel Tormenter
Chapter:1

第12話 あやかの思惑


 オイルは今日無限を入れた。パッドは生きてるし、タイヤもまだ五分山、暖まってるからグリップも最高。
 手足と同じぐらい的確に車の状況を把握しながら、彼女は全開走行を続けている。
 彼女はダートで走っていると言ってもダートが好きなわけではない。
 だからドリフトメインのスタイルではない。
 前後輪とも横浜のハイグリップタイヤで、純正サイズだ。
 足回りは無限で固めてはいるが――ストリートで走るには無限が尤も適当だろう、という彼女の考えからだ。
 競技用は下手な物を入れるとサーキットではいけるがギャップの多い峠では跳ねて走りにくい。
 安い奴はすぐ抜けて使えなくなる上に、信頼性に欠ける。むしろ純正の方が尖ってて良い。
 トルクの細さはワンオフマフラーでそれなりに改善しているが、それでもドリフトメインで走るには峠は狭い。
 特にこの峠は。
 後ろでもたつくGT-Rの動きに、あやかは少し苛ついていた。
「あのあほぉ、ここを直線的に走ってどないする気や」
 サーキットでの初心者の攻略法の一つであり(旋回ブレーキなどの高度なテクニックを必要としないので)公道でも前方がブラインドの場合安全に走れるので良いが。
「まだ癖抜けてへんのやろ思てたけど」
 シケインを抜ける直前、直線前シケインなので一番アウトからインべたを狙って立ち上がり重視で来るだろう。
 直線が速い車は間違いなく狙ってくる。
 直線が遅い車はコーナーの速度を速めて、立ち上がりをできる限りうまい姿勢で運ばなければならない。
――本当ならここでドリフトはいややねんけど
 アウトからインを塞ぐには、アウトにリアをふりイン側よりに立ち上がるしかない。
「許せよ、ぶつけるなよあほの良二♪」
 クラッチキック。
 がつん、と衝撃が来て、強引に回転数をかせいだエンジンのパワーに後輪が負けて滑り始める。
 コーナリングの態勢ができていたからすぐドリフトにうつり、姿勢制御しながら細かく流していく。
 本来ならアンダー気味の姿勢でグリップを戻すべきだが、わざとインに向けてお釣り気味にアクセル全開。
 案の定アウトを狙った彼はインに頭を向けて、立ち上がり損ねる。
――うちはトルク細くて立ち上がりもいまいちやねん、GT-Rの立ち上がりで直線で落とされたらかなわへんからなぁ
 僅かに、本当に僅かに距離が開く。
 だがこれが重要だ。高回転まで一気にパワーを解放して、立ち上がりでの遅れを取り戻す前に次のコーナーへ行かなければ。
――しばく言うたで。しばく言うたで。絶対まけられへん
 直線を邪魔になるように走って抑え、コーナー出口を駆け抜ける。
――どうせ次は茶屋前やろ?判ってるねんで
 この辺りの走り方を教えたのは彼女。
 その責任はとらなければいけない。
――見せちゃる
 派手なシフトダウンの咆吼が、木々の間を抜け谷間にこだました。

 はっきり言って長尾峠はまだ走りやすい方だ。
 実はゲームのステージになるほどの峠であり、まだここが林道だったころから走られている。
 決して『走れない』ステージではなく、短い直線とシケインの連続するこの峠は恰好の練習場とされている。
 実際この峠を初めて登るなら、まずこのうねりと極端にうねるコーナーに、とても制限時速である30km/hを維持する事はできないだろう。
 だがここをパーシャル80km/hで抜ける事がその時代の必須科目だったと言われている。
 未だに、頂上付近の1Kmには延々と続くブラックマークを残す強者が走ると言われている。
――ってったってなっ!
 既にテールランプは彼の前からたびたび消えようとしている。
 S2000の独特のランプがぱっぱと明滅するのが見えるだけ――既に1コーナー分の距離が空いてしまっている。
 というのも、300kg以上の重量差からくるウェイトハンデにうち勝つだけの腕が良二にはなかったからだ、と言ってしまうと身も蓋もない。
 サーキットとジムカーナでの経験は全く違う。
 ジムカーナでの経験は、こんな細かいコーナーリングには最適だろう。
 車よりも経験の差。これは――残念ながら始める前から判っていたことだった。
 しかしもう少しコーナーの角度が浅かったならばS2000は不利だっただろう。
 ぎりぎりと後輪が軋む音を立てて逃げるS2000が、どうしても届かない位置にいるようで。
 踏んでも踏んでも逃げていく。
 そして、幾つもの細かいヘアピン並のコーナーを抜けて、ふっと視界の開ける右コーナー。
――ここが最後っ
 直線がある。短いが、ここで追いつかなかったら負ける――いや、この先にもコーナーはあるのだ。
 できる限り近づいておきたいが、この先のコーナーはまた小さく角度も深い。
 路面のうねりも激しく、どん、と沈む感触がする。
 腹をすらないだろうか、と思う。
――見えた
 そして広い右コーナーが見えて、そこを無理矢理抜けようとするS2000の派手なテールランプが見えた。
 ここは広い。出口こそ車二台並べないが、強引なコーナリングから飛び出せば、二車線分の道路は今まで以上に広く、追い越しも無理ではない。
 問題は――そう、どれだけ差を詰められるか――

 
「おっしゃ」
 ぼぼぼと存在感をアピールする低音を響かせながら、S2000はアイドリングしている。
 バトルは僅差。
「まぁ、しゃーないわ」
 派手なスキール音を立てて、コーナーを飛び出すまではS2000の方が間違いなく勝っていた。
 だが、所詮それまで。
 最後の広い車線を利用した走りは、なんとかR33に分があったようだった。
 勿論追い越したわけではないが、どうにか最初の位置までは追いつくことが出来た。
「でもなぁ良二?あんたいい加減あの走り方直さなあかんわ。これ以上速く走れへんで」
 したり顔でくどくどと始めるあやかを尻目に、綾はぼけーっとしていた。
 それもこれも、二人の派手な走りをすぐ側で見ていたからだ。
――あれで凄くないんだ……
 あやかも全力、良二も全力。凄くないはずはないが、彼は勝手に勘違いしている。
「うちだって、教えたのと違う走りやろ?あんたのあれは初心者向けの簡単な走り方や。ストリートでも通用する、な」
「先輩の言う走り方、この車には合ってるんですよ」
「ほならそれ売れ。あんた本気でそう思ってる?んやったら一度FF乗った方がええで」
 つい。
 そこで二人の視線が、まるで示し合わせたように綾の方を向く。
「え」
「ともかく、今日の主役は綾ちゃんなんやから、さ、乗ろか♪」
 きゅるん、と音を立てそうなぐらいにこにこして、さっと素早く綾の側に駆け寄る。
「ほらほらー綾ちゃん、出番やでー」
 ふと、綾の視界に『睨み付けるような』良二の貌が見えて、また予想以上にべたべたしてくるあやかに慌てて、急いで自分の車の鍵を開ける。
「ほら良二、あんたものるんやで!こいっ」
 言われずとも、と助手席の方に向かう良二に、綾は少しだけ苦笑してシビックに乗り込んだ。
「ほな教えたるから、取りあえずゆっくりでええ、下に行こうか」


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