>
Steel Tormenter
Chapter:1
第13話 長尾峠・御殿場側下り
良二が乗り込み、あやかを載せたEG6は、ゆっくりレストランから出る。
今日は平日だからこの山の上は静かなものである。
「うわー、のりごこちふかふかやね」
あやかは嬉しそうに言って――当然なんだが――ぴょんぴょんと助手席で飛び跳ねてみる。
「や、やめてください」
それだけで車はぐらぐらとゆれて、ハンドルを握る綾はおっかなびっくり言う。
「ははは。ごめんやで。じゃ、とりあえずギアは3速キープで、ゆっくり丁寧におりよか」
「はい」
教習車にのって、教官に教わる時を思い出しながら、綾はのろのろと道を下りながら3速までシフトアップする。
長尾の下りはさほど傾斜がきついわけではないが――これでも、結構加速する。
「この辺は大丈夫やろけど、ほれ、そこの左を抜けたら狭い細かい左がくるからな。ブレーキに足乗せておき」
時速は20を越えない程度。
でも、傾斜と、左の入口が極端に狭く見えるせいで、壁が迫ってくるように感じる。
これはまだ初心者故の仕方のない事で、思わずブレーキを強く踏み込んでしまう。
「ばばっ、馬鹿クラッチ切れクラッチっ」
御陰でエンストしかけてがたがたと文句の唸りを上げるEG6。
慌ててクラッチを切ると、ぶうんと唸りが引いて、ブレーキでゆっくりその場に停車する。
「あはは。せやろ、ここ狭いもんなぁ。ホントはこれだけ鋭角なコーナーだと手前側から滑らせて侵入すると格好ええんやけど」
無理。
下りでそこまで派手にドリフトできるためには、多分相当の腕前でなければならない。
「あやか先輩もそこまでしないやろ」
「馬鹿。うちはドリフターやあらへん」
ドリフター。古い走り屋で、ドリフトをするためだけに車に乗っていた連中のことをあやかはこう呼ぶ。
放浪者でもなければ古いコント集団でもない。
そのままブレーキをちょんちょんと抜きながら、ゆっくりコーナーを下る。
先刻、助手席と後ろに乗るこの二人は、ここを派手に抜けていったのだ。
――凄いな
まさしく。
「それでも、ここをあれだけ走れれば凄いですよ」
「全開ちゃう。下りは適当な巡航や」
それは強がりなのか、目標のレベルは高いということなのか。
鼻を鳴らすような彼女に、綾はめまいがするような気がした。
「えぇか、綾ちゃん。ここはまず40km/h平均で走れるようになることが脱・初心者の道や」
今はまだ踏まんでええ、と付け加える。
坂道下りはブレーキを踏みながら降りる物ではない。そんなことをしたらパッドは熱で死に、フルードは沸騰して使い物にならなくなり、最終的に利かなくなるからだ。
「それからブレーキはできる限り踏むな。アクセルコントロールで速度を調節して、コーナーはアクセルをパーシャルで抜けるんやで」
「え、でもブレーキは……」
「自動車教習所で習わんかったか?」
あやかの科白に、良二が割り込む。
「絶対こういったはず。『カーブを曲がる最中はブレーキを踏むな。手前できっちり減速しろ』って」
走る基本は、コーナー直前で曲がれる速度まで減速していること。
コーナーはアクセルパーシャルで常にトルクを加えておくこと。
特にFFはステアリングを切った方向に対しトルクをかけられるので、コーナー処理は難しくない。
付け加えるなら、FFはどうやってもアンダー傾向がでる為、初心者にとっては都合がいいのだ。
オーバー傾向の車はそのままスピンへと突入する畏れがあるが、アンダーなら速度さえ低ければ止まればいいのだから。
「……だったと思う」
曖昧な記憶に、あやかもくすりと笑う。
「ええか。この車はよっぽどのことがあってもありえんけどな」
EG6はバランスが良く、リアの接地が強い。
精確には、このサイズでありながら旋回半径が大きく、リアの追随性が高い車なのだ。
ホイールベース2.57m、トレッド1.475mと言うサイズは、180SXより大きく、全長の割に長大なホイールベースを持つ。
TYPE-Rは2.62m、1.475mとさらにホイルベースが伸びており、R32にも匹敵する。
この為、台形ボディと相まって、非常にバランスがよいスタイルをしているのである。
EK9はグリップで走るための車。下手にドリフトしたところで逆に遅くなってしまう――それほどコーナリングに強い車とも言えるのだが。
「有り得ないって」
「スピン」
こともなげに言う。
「コーナーで踏ん張ってるやろ。ブレーキを入れて、もし横のグリップバランスが崩れてみ。限界越えたらけつが滑り出すで」
と、右手をくりんと宙で回して、掌を打ち合わせる。
「ドリフトの滑り出しは、充分に速度を乗せて、荷重が前に乗ってる状態でステアを入れる。通常、グリップ限界に到達して、ブレーキングで荷重が前に乗ってる分けつがでる」
と、掌をぱたぱたと上下させて説明する。
「それと同じや。コーナでは」
と、右手を宙でコーナリングさせてみる。
「外側のタイヤに荷重がかかってて、車はこう」
外側に傾けてみせる。
「でも、ここでブレーキを入れるとこう」
指先をすっと降ろす。
「グリップは右前のタイヤだけにかかっている。もし、リアが重かったりすれば、バランスが崩れてすっ飛ぶ」
EG6は前軸重量が700kg近くあるフロントヘビーな車である。
リアがでないのは長大なホイルベースとこの重量配分のためではないだろうか。
「へえ」
くねくねと折り畳んだような道をゆっくり下りながら、綾は頷いていた。
「雨の日とかアブナイよ。大きな交差点で、白い塗装の上に乗っててコーナリング中、ずるって横滑りしたことある」
良二が彼女の言葉に付け加える様に言う。
「タイヤがプアなだけやん」
挑発するような顔でくりっと振り向くあやか。
良二は眉尻を下げて苦笑いする。
「それもあるけど、結構怖いで」
大きな交差点で、ゼブラゾーンのあるような場所では危険だ。
塗装はアスファルトとは比べ物にならないほどグリップしない。
「ここも危ないで。もう少しで直線にでるけど、その先が大きなシケインになってるから」
そう。
長尾峠の下りの最後のワインディング直前にストレートが存在する。
上りでは緩やかなカーブを描く全開区間を越えたシケインの直後、最初で最後の高速区間でもある。
「路面のうねりが激しいからな、うち、そこで一回転したことがある」
特に何をしたわけではない。元々あやかはグリップで走る。
ただ教科書通りにコーナリングに入った途端、前輪が巻き込んだようにリアがすっ飛び、そのまま一回転した。
「あそこはこちらの入口からRの変わる場所に向けてぐっと落ち込んでん。前荷重でコーナリング姿勢に入ると、普通より横にグリップせぇへんみたいでな」
「下りのコーナーは難しいかしゃあないで先輩。……で、ケガなかった?」
当たり前や、と怒鳴りながら、あやかはけらけらと笑うと苦笑いを浮かべて応える。
「ホントはな、つい最近の話やん。うちのS2000、タイヤ古ぅなっとったんみたいで」
そう言って肩をすくめた。
「ほら、そこやで」
綾はコーナーを回り始めてぎょっとした。
左タイヤから傾き始める。
「な、こっちから向こうへうねってるねん」
そして、丁度切り返してシケインの真ん中にくると丁度車が水平になる。
コーナーその物はかなり広いが、これだけうねっていれば使える場所もラインも限られてしまう。
「対向車おらんのわかってたら、センター割ってショートした方がいいんやけどさ」
あやかの信条で、センターを割って走るのだけは嫌だった。
「うーん、さっすが先輩、綾、どんな走り方をしてもセンターを割った走りほど無様なもんないで!」
「あんたしょっちゅうやん」
センターを割らなければどんな走りをしても良いって訳じゃないだろう。
綾はそう思ったが、敢えて突っ込むのは辞めることにした。