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Steel Tormenter
Chapter:1
第14話 箱根スカイライン
長尾峠・御殿場側を登った終点から伸びる道の先に料金所があり、有料道路で有名な箱根スカイラインがある。
夜間無人になり解放されており、無料で走行できるが、その先の芦ノ湖スカイラインは夜間閉鎖されているためこのルートで国道1号線にでることは事実上不可能である。
折り返すか、湖尻峠を下って国道246号線にでるか、県道75号に向かうかしかない。
「ほなついでや、上登るんやから箱スカいこや」
あやかの言葉に、一も二もなかった。綾はようやくもたもたと走れる程度ではあるのだが。
「安心しーや、湖尻峠んとこの脇で停まって待ってるさかい」
「おう、ゴール作っておくから気を付けて来いよ。事故ったら意味ないぜ」
自分の車から降りていく彼らを見送って、綾は自分の体をシートに押しつけるようにして全身を伸ばす。
かなり緊張していたのだろう、あちこちが痛い。
首を回してこりをほぐす。
別に全開で走ってる訳ではない。
雪が積もってる訳でもない。だから、怖くない。
彼は手をきゅ、きゅと数度握りしめてその感触を思い出す。
凍えるほど寒いわけではないが、緊張と疲れでがちがちでは困る。
レストランからあやかがハザードを焚きながらでてくる。その後ろを、やはりハザードを焚きながら、R33が付き従うように続く。
綾はその後ろについて、峠から料金所に続く道へと登り始めた。
ここ、長尾峠頂上付近から箱根スカイラインにかけてはドリフト集団がたむろしている事が結構ある。
しかし今日は平日、無茶な連中はいないだろう、とあやかは思っていた。
――タイヤもオイルもベストだから、悪いけど踏ませて貰おうかなぁ
箱根スカイラインは高低差が激しいブラインドコーナーが続く。
コーナーその物もかなり厳しいラインを描くが、終点間際の急な下りの直線は余程根性が座っていないと踏み切れない物だ。
尤も夜は踏み切って下る馬鹿はいないだろう。
とろとろと左に湾曲する道路を登り、料金所を通過する。
そこであやかはおもむろに二回吹かせて、一気に踏み込んだ。
最初の登り右コーナー、駐車スペースが左に見える。
そこを、S2000の斬り込まれたバンパーのエッジでなぞるようにして綺麗に頭を入れていく。
「端っから気合い入れるなぁ」
あやかが仕掛けるのを見て、今度は対照的に鈍重な加速を開始するR33。
箱根スカイラインもかなりコーナーがきつい。芦ノ湖に比べれば大分ましな道路ではあるが、はっきり言うと良二の腕では厳しい。
R34ならまだ……とも言えるかも知れない。
R33の長いボディは、それを振り回す事のできる腕を持たなければまさに宝の持ち腐れと言えるだろう。
それに比べると――良二はバックミラーに映るEGのヘッドライトを眺めた。
EGはボディは小さい。しかし同クラスと考えられる車の中ではホイールベースが尤も長い、普通に直進安定性の高い車なのだ。
しかし軽量級故の回頭性の良さが、同クラス以上のコーナーリングスピードに繋がる。
恐らくではなく間違いなくR33では上りでない限り勝てないだろう。
「うわ」
見る見るうちに遠くなるR33のテールを、綾は慌てて追うつもりもなかった。
――あちこちにPがあるなぁ
料金所を過ぎてすぐ、左に駐車スペースが見える。
右に車体を振るとすぐ左の切り返しがある。
しかし充分に広いこの道路なら、もう少し速度を出せそうだ。
と、左コーナーに侵入すると今度は下りだ。
「っわ」
焦ってハンドルがふらつき、車体が揺れる。
緩やかな直線で、すぐ右。
思った以上にスリリングなコース展開に、綾は必要以上に緊張しなければいけなかった。
――1、2、3……
下りの右をぎりぎりのグリップできりきり鳴かせながら回頭する。
前輪は充分グリップし、後輪は悲鳴を上げる。
FRの回頭は後輪を回す。FFの回頭は前輪を回す。
加速性能こそFRに劣る物の、FFはその前輪の舵取りがコーナリング速度を維持させ、脱出速度を上げるものにする。
ドリフトは一見派手なテクニックだが、一旦コントロールを失うとスピンに直結する危険な行為でもある。
すぐに上りの左が来る。
あやかはアクセルをぽん、と抜いて、リアのトラクションが立ち上がるのを感じながら、今度は一気に踏み込んでクラッチを蹴る。
回転数を充分に上げたエンジンと、クラッチを強引に繋いで――今度は逆向きにリアタイヤを流していく。
足の動きを良く感じて、リアの動きに合わせてヨーを捉えなければこの『振り返し』は難しい。
カウンターも当てておらず、あやかの場合は『ドリフト』テクニックとは言えないが、結果的には似たようなものになる。
つまり――
「派手にリア流していくなぁ」
あっという間に消え去ったあやかを、前コーナー出口で見送る良二。
こちらは丁寧に前荷重でフロントをグリップさせてアクセルを煽る。
ごん、と頭がコーナー出口に向けて進み始め、リアは車体を前に送ろうと踏ん張る。
結果内側のタイヤはデフにより逆転、グリップを失えば空転する。
トラクションコントロールにより、空転を始める前にそのトルクは外側の二輪へと伝達され――結果、FFのようなコーナリングで侵入を終える。
アテーサETSに加えリアにはアクティブLSDという電子制御デフが搭載されたR33は、特にドリフトの難しい車だ。
そして『曲がる四駆』だった。
前輪が安定し、リアタイヤは軋みを上げながらエンジンパワーを惜しみなく路面に伝達できる。
彼はただアクセルを踏むだけで、短いコーナー出口からの登りを1.5t近い車体の重さを感じさせる事なく、一気に頂上へとはじき出す。
そしてハードブレーキング。
荷重を感じながら再び彼は左にハンドルを切っていくのだった。
テンポを合わせるようにして、下りのシケインを巧く抜けると一気に下りの直線に出る。
もう少しでゴールだ、そんな時だ。
――?
対向車だ。
良く聞けば、前方で爆音を蹴立てる音がする。
コクピット内部は自分のエンジンの音で五月蝿いので気がつかなかったが――かなりの勢いだろう。
――このスキール、ドリフトじゃない
向こう側からは上りになる。相当パワーをかけているのだろう、切れの良いスキール音が断続的に聞こえてくる。
シケインに進入すべきだろうか。
迷ったが、後続を考えて一旦スローダウンした。
同時にそれはシケイン入口に姿を現した。
青白い閃光のようなプロジェクタが見えて、特徴的なスモールのオレンジ色にあやかは口を結ぶ。
――ふぅん、黒の32……それも相当の腕や
後輪が滑り出しているのは、タイヤが悪いのかパワーが有り余っているのか。
シケインも殆ど直線的に抜けると、ブローオフバルブ独特の『ひゅるるる』という抜ける音を響かせてあやかの側を駆け抜けていく。
興ざめして、あやかはため息をついてシケインに進入した。
もう飛ばしてもすぐそこがゴールだ。
シケインを抜けてクーリングのつもりでアクセルを抜き、一気に下ると右折して湖尻峠出口付近で、くるんと一回転させてその場に停車した。
すると、シケインを抜けるR33の姿が見えた。
彼もやっぱり同じように回ると、あやかの隣に席を作る。そして、すぐにあやかのところへと駆け寄る。
「先輩先刻の32みた?」
「そりゃ見るわ。あんたよりずっと上手やったな」
先行していたとは思えない。だから、多分――
「湖尻峠抜けてきた奴やね」
箱根スカイライン出口から右折すると、長尾峠より狭く細かい道がしばらく続く道がある。
途中から充分な広さがあり、直線的で緩いコーナーが続く楽な峠だ。
この二面性が特徴であり、全長が長い割に楽しく走れる場所が少ない峠故に、あまり人が居ない。
「沼津の方やろか」
「さぁ?案外伊豆あたりから飛ばしてきたのかも」
「伊豆なら箱根登りで138でしょ、先輩」
あれだけの腕なら何処でも通用するだろうが……32なら確かにそのルートの方が楽しめるだろうし、確実だ。
「そうかもね」
さて、どれだけ綾は遅れているだろうか。
先刻の黒いスカイラインを見てから、妙な胸騒ぎがしていた。